ゲリラテック テクニカルダイビングの始まり 

酸素減圧

2000年代には SUUNTO から D9 というダイブコンピュータが販売されていた。ダイビング中にダイバーが異なる成分のガスに切り替えても減圧計算を続けられるという優れものであった。当時のサンペイはテクニカルダイビングという言葉は知らなかったが、深場に出かけることが多くあり、純酸素で減圧するという発想が大変気に入った。

早速、救急用の酸素シリンダを海に持ち込むことにした。が、バルブの形状がまるで違う。ピンインデックスがついた酸素シリンダに酸素用レギュレータのヨーク部分を取り付けてもガス漏れを起こしてしまう。このガス漏れを止めなければダイビングで使うことはできない。

そこで、ヨークバルブの内側、ピンインデックスバルブと接するギリギリの部分にOリングをひとつつっこんでみた。ゆっくりバルブを開けるとガス漏れは止まっていた。150barという高圧がOリングをしっかりとピンインデックスバルブとの隙間に押しつけ、みごとにガス漏れを止めてしまったのである。

ゲリラテック

サンペイは背中に2本のシングルタンクを背負い、酸素シリンダは胸の前に横にして抱える(酸素シリンダの上下にドッグクリップをつけて左右の肩のDリングに引っ掛けておく)というスタイルで深場に出かけていた。空気+ナイトロックス+酸素という組み合わせでのダイビングも可能だったし、伊豆あたりの充填所であれば空気のシリンダもナイトロックのシリンダも簡単に借りることができた。

ゲリラテック時代は一般的なシリンダを2本かついで海に入る、こんなスタイルだった。

このスタイルは準備が簡単な割にワクワク感満載で、当時 LOCODIVERS に所属していたダイブマスターのうち何人かがすぐにチーム入りした。新しくBCDやレギュレータを買い足すダイバーもいたし、スキューバプロのBCDにシリンダを2本取り付けるダイバーもいた(水中バランスが大変良かった)。取り付け金具などをみんなでホームセンターに買いに行くこともあった。チームにはダイブマスター以上の有資格者しか入ることができなかったので、わざわざダイブマスタートレーニングに参加するダイバーも出てきた。

DSAT が担当していたテクニカルダイビングを PADI が正式にコースとして取り入れることになった時、サンペイはPADI Tec Deep Instructor になることを決めた。サンペイたちのダイビングは「正規の」テクニカルダイビングへとシフトしていったため、これまでの減圧潜水を皆はゲリラテックと呼ぶようになった。

ゲリラテックの装備は貧弱で通常のダイビング装備を改造したものばかりであったが、ダイブマスターたちが知恵を出し合って挑戦するゲリラテックは、自由満載で大変魅力があったと思う。